ミュージカル座
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No.1  

No.3

-No.2-

私は、ミュージカルをつくる上で一番大事なのは最初のアイディアだと思っている。最初のアイディアがよくないと、いい脚本は出来ないし、いい脚本が出来なければ、どんなにいい俳優をキャスティングしても、演出・振付面で工夫を凝らしても、面白い舞台は出来上がらない。だから、私は最初のアイディア、ひらめき(インスピレーション)を宝にしている。頭に浮かんだひらめきが、本当に大金と時間と労力をかけてミュージカルにするほど価値のあるものなのかを充分見極めることが大切である。

アイディア、ひらめきといったものは、充分な時間をかけて、興味を持って物事を見つめるうちにやってくる。瞬間に、作品の全体像が浮かぶ。それは近付いて見れば、シャガールの絵のように色々なものが書き込まれていて、その一つ一つにドラマがあるが、遠ざかって見れば、巨大な一枚の絵である。絵の全体は1秒で見渡すことができるが、その中に書かれたそれぞれのドラマを説明すると2〜3時間かかる。これが上演時間である。その全体像を見失わないよう、すべてのドラマを書くには、数か月以上かかる。

ひらめきが、はたしてミュージカルにするほど価値のあるものなのかを見極めるには、私は時間を置くことにしている。面白いアイディアだと思うものは毎日あらわれるが、たいていすぐに書き出すことはしない。頭の中のアイディアの池に、樽の中に入れて浮かべておく。あまり面白くないアイディアは、数か月たつうちにみんな水の中に沈んで行くが、ごくまれに、何年浮かべていても沈まない樽が出てくる。そうすると、いよいよ次はこれを書かなくてはならないかと真剣に考え始める。

どんなことを考えるかと言うと、ミュージカルにする場合のさまざまな可能性とリスクである。成功する作品になり得るのか。命を賭けてつくるほどのテーマか。将来成長する可能性はあるか。芸術性と娯楽性は充分か。時代は合っているか。観客や批評家の感想が読めるか。歌とダンスとドラマの配分はどうか。魅力的なキャスティングが可能か。装置や衣裳にはどれほどの魅力があるか。今まで誰もミュージカルにしていない題材か。斬新な、なんらかの要素があるか。などなど。つまり、よほどの作品でなければ、書き出さないということである。その間、私の頭の中では常に制作会議が開かれている。アイディアを実行に移すかについての議論が行われる。書き出す以前に、すべてを見通していないと無駄になってしまうからである。

考えているうちに、半年や1年はすぐにたってしまう。その間に私は、自分のアイディアを周囲の人に出来るだけしゃべるようにしている。今、こういうミュージカルをつくろうと考えているのだけど、と話して、反応を見る。だから私の周囲にいる人たちは、いつも私が次にどんな作品を書こうとしているのか知っている。人に話しているうちに、アイディアのある部分がはっきり見えてくることもある。もちろん、同時にタイトルも考えている。小説や映画で有名な「ひめゆりの塔」を縮めて「ひめゆり」という題名にしようと決めるまでにかかった時間は1秒。「舞台に立ちたい」という題名を決めるまでには10年かかった。とことん迷ったあげく、この題名が頭の中で固まって来てからも、1年は疑っていた。

私は、ひらめきの中に完璧な形で作品は存在していて、私はその姿を垣間見ながら、不完全に模写しているのだと解釈している。全ての作品は、生まれる前から存在していて、生まれるべき時代にしかるべき人を通じて生まれてくるのだと私は思う。作品の完璧な姿を追い求めて、「いや違う―――ここはもう少しこういう形だった―――こういう色だった」と苦闘している時が、私の一番生き生きしている芸術的な時間だ。作品を書く作業に助手などいないので、たった一人、自分の部屋にこもって何か月かを過ごす。スピルバーグの映画「未知との遭遇」で、インスピレーションを受けた主人公が、完璧な造形を求めて苦闘する姿である。頭の中の神経細胞が一番活発に働いている時で、この期間、私の頭脳は普段より少し賢くなっている。

プロ野球選手が毎年自主トレ、キャンプを経て体をつくり、開幕を迎えるように、頭脳も自主トレ、キャンプを経ないと、書き出す神経細胞はつくれない。多くの作品を書いているベテランでも、書いていない時は、能力は衰えている。研ぎ澄まされた神経細胞をつくるための訓練機関が必要なのだ。私の場合、古今東西、一流の戯曲を読み、優れた作品を見ることでトレーニングを行う。書き出す前に必ず読むのは、戯曲ならチェーホフとニール・サイモン。二人の本は、台詞を書く神経をつくるためのベストなフォーマットになってくれる。

台本が完成した後は、舞台製作は多くの人との共同作業となる。作曲家をはじめとする多くのスタッフ、キャストとの話し合いの中で、ミュージカルはつくられて行く。私の意見に反対するスタッフもいるし、台本に異議を唱える俳優もいる。それまでたった一人の静かな作業だった台本作りから、人の輪の中での作業が始まり、私の性格も変化する。この孤独な作業と騒々しい作業の繰り返しが、私の人生にリズムを与えてくれる。静かな書斎と、ピアノの音色のにぎやかな稽古場。どちらも私の世界である。

おかしな話なのだが、私は、1930年代のアメリカのミュージカル映画を観ていると、なぜか懐かしさで胸が一杯になる。私は1958年生まれなので、その理由が分からない。ピアノ、タップ、ダンサー、劇場、楽屋、音楽、舞台装置やミュージカルの電飾付き看板まで、これが私の世界だということを教えてくれる。このことに気づいたのは中学生の時だった。前世の記憶か、遺伝子の好みか、はたまた幼少期のトラウマか定かではないけれど、とにかく歌って踊って人々を楽しませる魂が、私の中心にいることは確かだ。

インスピレーションを受けた作品を、私の手を通して台本という形にしたあとは、その形を、スタッフやキャストと共同で世の中に発表して行く段取りとなる。その過程で、今度はスタッフやキャストが、台本を通じてそれぞれに霊感を受けとり、素晴らしい音楽や演技を生み出してくれる。作詞家と作曲家の間に霊感が働けば、素晴らしい曲が生まれるし、俳優が役によって霊感を得れば、その人しかいないと言われるような名演技が生まれる。役と俳優は縁によって結びつく。俳優もいい役をさがしているが、役の方も自分にぴったりの人をさがしている。いい縁が持てれば、役は嬉しそうである。ふさわしくない人がキャスティングされると、役の方がその人を拒絶する場合がある。いい出会いがあった時に公演が成功するのは言うまでもない。

私が垣間見た作品のイメージを、台本だけで説明するのは不可能だという思いがあったので、今まで初演作品は自分で演出することが多かった。作曲家や俳優、舞台美術家、照明家、衣裳デザイナーなどに直接イメージを伝えたかったからである。ミュージカルの場合は、歌詞だけを読んで作品をイメージすることが困難な場合が多い。T・S・エリオットの詩を読んでも「キャッツ」の舞台を想像することはできない。台本を読んだだけで「コンタクト」の魅力は分からない。すべてを束ねるのは、音楽や振付や装置を含めた全体のヴィジョンだからである。ミュージカルの製作において大切なのは、プロデューサーか、あるいは演出家か、誰がその全体のヴィジョンを握るかなのだ。これがはっきりしないと、作詞家、作曲家、脚本家、演出家、振付家、美術家と分業作業のあげく、一体誰がつくりたかった舞台なのか分からない仕上がりになってしまうことがある。そこで、なるべく芸術上の責任者をはっきりさせるため、自分で演出していたのである。だが、ある程度年齢を経た今、私が書いたミュージカルを、私とは違う発想の演出家に舞台化してもらうのを見たいという思いも生まれてきている。具体的に好きな演出家もいるので、機会が生まれたら、一度頼みに行ってみようかと思う。

24時間、舞台のアイディアを考えて過ごしてきたような気がするが、現在、ミュージカル座で上演されている作品は、そのほとんどが、もう10年以上前にアイディアとして私の頭に浮かんでいたものである。頭の中から外の世界に出てきて、スタッフや役者さんと出会い、劇場にかけられて観客に届くまでに10年かかったわけである。「ひめゆり」も「舞台に立ちたい」も「アイ・ハヴ・ア・ドリーム」も、30代の作品なのだ。今、私の頭の中にあるアイディアをこれから世の中に出して行くには、10年以上の歳月がかかるだろう。いつまで出来るか分からないが、新しいミュージカルのアイディアを一作でも多く舞台化して行くことが、私の夢である。

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