-No.5-
ミュージカル座創立10周年。「よく、なくならずに続けてこられたなあ。」というのが、私の今の気持ち。創立した当時のことを昨日のように思い出すので、早いといえば早いが、しかしやって来たこと、積み上げて来たことを整理すると、膨大な量になるし、ミュージカル座を取り巻く環境や周囲の認識が変わったことも感じている。10年やって見えてきたものはあるので、収穫のない10年だったとは思っていない。10歳ということは、人間でいうと小学校4年生ぐらいの劇団になったということだろうか。成長した大人の劇団として20周年を迎えられるよう、努力していきたい。
劇団は、続けることが難しい。いつか小劇場のロビーのチラシ置き場で、小さな劇団・グループのチラシを10数枚眺めて、溜め息をついたことがある。半分以上のチラシが、第1回公演、旗上げ公演なのだ。ミュージカル座を旗上げする時、舞芸のスタッフに、「旗上げ公演をする劇団はたくさんありますけど、第3回公演がやれたらたいしたものだから、3回までは頑張ってください。」と言われたことは本当だった。舞芸の私の教え子も、この10年の間に何度か自分たちのグループ・劇団を旗上げて公演を行ったが、公演終了後にメンバーが離れ、新リーダーを決め劇団名を変えて再スタートするも、結局、2度目の旗上げ公演後に結束力を保てず、それっきりで終わってしまった例があった。舞芸を例にとると、演劇部の卒業生からは自立して育って行く注目すべき新劇団が複数生まれたが、ミュージカル部の卒業生が自力でミュージカル劇団を立ち上げ、それなりの成果と成長を見せた例は皆無だった。言わずもがな、スタッフと作品に金がかかり、自分の技術を磨くためにも時間と金と何年にもわたる持続力が必要なミュージカルだからである。各種助成金の審査委員も評論家も、一流スタッフと有名スターが出演しない無名の小劇団には冷たい。とくにミュージカルの世界はこの傾向が顕著だ。助成金・協賛金は勝ち組の団体に流れ、チケットノルマと公演の借金を払うためのバイトに追われる。日本で親会社の援助なしでミュージカル劇団が誕生し、成功することは、今後も極めて稀であろうと想像できる。もちろんミュージカル座も、こうした悲哀を山ほど味わってきた。続けて行けない理由を上げればいくらでも言える状況の中で、なんとか10年続けて来られたのは、私も、今中心にいる劇団員も、ミュージカル座は成功するだろうと、漠然と確信していたからに他ならない。次の時代に、大手劇団や製作会社をしのぐオリジナルミュージカルをつくれるのはミュージカル座だと、みんなが心の底で信じていたからだ。その確信がなかったら、もうとっくになくなっていたと断言できるし、続けていた人は、一人もいなかっただろう。
創立当時にミュージカル座に加わり、10年間、活動を続けてきた劇団員がいる。今は正座員となっている川田真由美、狩俣咲子、竹本敏彰、福地洋子、片岡直美、鈴木智香子、萬谷法英、片桐和美、梅沢明恵、木村美穂、深沢美貴子、高原達也らである。ミュージカル座は彼らがつくり、育てた劇団だ。頻繁に入団と退団が行われるミュージカル劇団にあって、これだけ多数のメンバーがほぼ創立当初から劇団を支え続けてきたことがミュージカル座の奇跡といえるだろう。もし彼らが皆いなくなっていたら、私も劇団を続ける力は起きなかったろうし、活動は頓挫していた。偶然にもある時期に出会い、運命の一部を共有する仲間となったことに、如何なるはからいがあったのか分からないが、楽しい青春を犠牲にして(?)、ミュージカルという不可能な山に挑み続け、今はプロのミュージカル俳優として劇団の内外で成果を出し始めている彼らを誇りに思っている。私がミュージカル学校の生徒だった時、評論家でミュージカル論の講師だった風早美樹先生が、生徒たちに「私は30歳過ぎた人しか信用しませんよ。」と語ったことを今でも覚えている。20歳前後の若者に語った言葉なので、この世界で10年続けた人しか信用しませんよ、という意味だったと解釈している。ミュージカルの教育現場に25年間身を置いてきた人間として、この言葉の重みを痛感しているだけに、そういう意味では、彼らは、すでに信用に足る人物であり、この世界でやっていくパスポートを手にしたと言っていいだろう。劇団の歴史同様、劇団員の歴史も重要だ。ミュージカル劇団はきびしい環境なので、若いうちの数年間は頑張れても、燃え尽き症候群のようにパタッと辞めて、舞台から遠ざかってしまう例は多い。道を極めるには多くの年月を費やす芸術だけに、まことに残念なことである。できうれば一生、生きているまま舞台に立ち続け、舞台俳優としての生涯をまっとうしてもらいたいと願う。そのためにはリラックスすることも必要だし、時には立ち止まって、自らを癒し、じっくり考えてみる時間も必要だ。そうすることができる劇団でありたい、と私は思う。彼らはミュージカル俳優としてのスタートを、完成され、管理された劇団で始めようとした人々ではない。稽古場さえないゼロからのスタートと、自分たちの歴史をつくる道を選択した人々である。彼らが誇りを持って自分とミュージカル座の歴史を語れるように、歩みを続けて行きたい。
宝塚90年、劇団四季50年。成功した劇団には長い歴史がある。文化芸術に手厚い保護のなかった戦前・戦後の日本で、ミュージカルというジャンルの舞台芸術が、一般にポピュラーではなかった時代を切り開き、ここまで成功させたことに、同じジャンルで別の夢を追っている後輩として、満腔の敬意を払いたい。自分で劇団をやっていると、うちより長く続いてきた劇団は本当にどこでも尊敬したくなってくる。宝塚がどうの、四季の舞台がどうの、ミュージカル座がどうのと言うのは簡単。でも、やるのはその1万倍も大変ですものね。どれだけ多くの苦労を費やして来たことか。長く続いた劇団は、その年月だけ多くの困難を踏み越えて来たのだから尊い。昨年はプロ野球の再編問題がクローズアップされ、なくなる球団と新規参入の球団が生まれたが、このニュースを見ていると、球団や劇団には、歴史と記録がとても重要だということに気づく。かつてどんな名選手がいたか、どんな活躍を見せたか、最多記録は何本だったか、どれほどの悔しさを積み重ねてきたか。そのすべてが球団をつくっている。ニューヨーク・ヤンキースやボストン・レッドソックスの偉大な価値は、100年の歴史が重ねてきたもので、決して一朝一夕にはつくりだせないものだ。だが同時に、100年の歴史は1年1年の積み重ねであり、1年ずつの積み重ねなら、今の私たちにもできることである。多くの劇団の歩みと歴史を参照してみると、だいたい20年目から30年目にかけて、大きな芸術的ピークを迎えるようである。これはイギリスのミュージカル・プロデューサー、サー・キャメロン・マッキントッシュが、「ひとつの大きな成果をつくり出すには20年かかる」といっていることと符合している。どういう団体になり、どんな成果を生み出すかは、団体が描くヴィジョンによって異なってくる。ミュージカル座も、20周年、25周年、30周年あたりで、ひとつのピークを迎え、積み重ねてきた成果を出せるように、優れた作品の創造と、優れたミュージカル俳優の育成に取り組んで行きたい。
私も30周年のパーティぐらいまでは元気で出席したいのだけれど、劇団の創立者というものはだいたい一番年上なわけで、先に亡くなるのは仕方がないことだ。戦後の劇団の歴史を調べてみると、長く続いた大きな劇団では、たとえ創立者が亡くなっても、劇団はなくならないということが分かる。ただし、時代の中心からははずれて行くのだ。いつの時代も、その中心になるのは、主催者が生き生きして絶好調の劇団なのである。歴史を見ると、主催者の元気さというのは案外大事で、これが力を発揮している時は劇団は時代の中心にいて元気だが、その力が落ちると時代遅れとなり始め、活動はすごく地味になってしまう。ミュージカル座はオリジナルミュージカルをつくり出す劇団なので、存続し、元気な劇団でい続けるためには、私たちの世代に続くミュージカル作家・作曲家・演出家・振付家を発掘し、チャンスを与えて育てることが不可欠だ。すでにミュージカル座は、昨年劇団員の竹本敏彰脚本・演出による新作ミュージカルを製作し、今年の秋には第2弾を計画していて、世代交代の準備をスタートさせているが、新人作家が発想し、書き上げたミュージカルを、しっかりしたプロデュースで舞台化し、普及させていく仕事が、私の後半生の大事な仕事となって行くだろう。
ミュージカルは贅沢な芸術だ。歌、踊り、演技。その一つだけでも、極めるのは一生を費やす時間と熱意が必要なのに、贅沢にも三つを追い求めようというのだから、プロのミュージカル俳優になろうと思えば、多くの時間とお金と労力がかかる。ミュージカルの本場ブロードウェイの中心、タイムズスクエアに立つブロードウェイ・ミュージカルの父ジョージ・M・コーハンの銅像。この人が歌って踊って演技して脚本を書いて作詞して作曲して演出して振付して製作もするありえない(?)マルチな人間だったわけで、ミュージカルとは、そもそもそういう要素のある世界なのだ。素人では絶対に無理。才能がなければ無理。頑張ってあれこれ勉強しても、プロとして活躍できる人はほんの一握り。それだけに希少価値があり、本物のプロの芸術家として称賛され、喝采を浴び、尊敬されるのもまた当然。今から10年前に大劇場のスケジュールを埋めていた座長公演は、年を追うごとにミュージカルの公演に取って代わりつつあり、ますますミュージカルの舞台を目指す若者はあとをたたないだろう。勇気を持ってこの道の扉を叩いた若者に対し、ミュージカル座ができることは、ミュージカル俳優になるための総合的な基礎教育を行う環境と、受け皿となる劇団公演と、外部出演へのマネージメント体制を用意することである。
私は、たとえ劇団に所属していても、ミュージカル俳優というのは技術を持った職人と同じで、自分の腕と名前で、オーディションからオーディションへ、仕事から仕事へ、自分の意思で活動して行ける自由があるべきだと考えている。ショービジネスに「ジプシー」という言葉があるように、大きなかばんに稽古着とダンスシューズを詰め込んで、我が身ひとつで劇場を渡り歩いていくのが、ミュージカル俳優本来の姿だ。自分の劇団公演への出演も選択肢のひとつ、ととらえるくらいの幅があっていいし、劇団側も、所属俳優の意思と自由な活動を尊重しつつ、劇団公演が行える体制をつくるべきだ、というのが私の理想である。もちろん、劇団側も全国公演の日程などが決まっていて、人手不足のなか舞台のレベルを落としたくない理由から、外部出演を制限し、契約で縛ろうとする考えも分かるし、ロンドンの俳優のように、公演の稽古中にもかかわらず次々オーディションを受けて現場を変わって行くというのも困ったものだが、劇団員が、「ひめゆり」にも「レ・ミゼラブル」にもどっちにも出たい、という可能性の幅を最大限広げておけるような集団にしたい、という思いは変わらない。
これは、そもそもミュージカルというジャンルに「劇団」という体制は必要か、という論議に関わってくる問題だ。現在、有力なミュージカルのほとんどは、製作会社によるプロデュース公演によって上演されていて、売れっ子のミュージカル俳優はどこでも引っ張りだこ。違う製作会社の公演を見ても、ほとんど出演者が変わらないという状況が見られる。だが出演者の名前を見ると、その大多数が劇団出身者であることも事実。劇団には、ミュージカル俳優を基礎の段階から育て上げるという大事な使命があることが分かるし、ミュージカル俳優になるためには歌・踊り・演技の総合的な基礎訓練が不可欠である以上、今後も劇団が果たすべき使命は変わらないと思われる。劇団は、閉鎖的すぎると人間関係が内向きになりすぎ、つきあいがうっとうしくなったりするが、一方、ドライで商業的な仕事ばかりやっていると、今度は長くつきあえ、自分を理解してくれる温かい友がいてくれることが有難くなってくる。昔のように政治的イデオロギーで結束するという時代ではないし、劇団に所属するという利点は、共に成長し、自分が出世した時には手を取って喜んでくれる長いつきあいの仲間がいて、この劇団でしかつくれない価値ある作品をつくり出す活動をしている、ということに尽きると思うし、所属俳優が、「ここが自分のホームグラウンド」と喜びを持って言えるほどの精神的なバランスを持たせることが、これからの劇団の有りようとしては良いのではないかと思っている。最近は日本の企業内でも、能力主義やリストラで、何十年と継続した人間関係を築くのが難しくなっている。何年か前に舞台芸術学院の50周年パーティを開催するため卒業生に連絡を取ろうとした時、50年前の卒業生は全員容易に連絡が取れるのに、わずか数年前の卒業生にまったく連絡が取れない事態になっていることに大変驚いたことがあるが、そうした世の中になった今、いつでも劇団に行けば、同じ釜の飯を食った古くからの仲間がいてくれるという安堵感が、これからとても重みを持ってくるのではないかと思っている。
もうひとつ、プロのミュージカル俳優の立場から言っても、商業的な大資本のミュージカルに出演するばかりでなく、自分の考えを取り入れた実験的な舞台、ひとつのプロジェクトとして長く続けられる舞台を創造し、スケジュールの合間にやって行きたいという考えを持っている人がいる。ミュージカル座は、そうした望みを持つプロのミュージカル俳優の友人として、大資本ではできない試みを実現する場所としても、価値を持ちたいと考えている。
劇団を未来に進めて行くために絶対に必要なもの、それはお金と力のある新作のアイディアだ。お金がなければ、ミュージカルは製作できないし、製作したとしても、お客さんを満足させられるような舞台には仕上げられない。またオリジナルミュージカルを製作する劇団である以上、常にこれは勝負できると確信できる新作のアイディアを持っていないと、逆に言うとお金も集まらないし、プロジェクトも立ち上げられず、劇団は前に進まない。このアイディアには一点の曇りがあっても駄目だ。絶対に成功し、すごいミュージカルになると心の底から信じられなければ意欲もわかないし、誰も説得できないし、何年もかけて多額の資金を投入して製作することはできない。ミュージカルは、いい作品が出来れば、一生その作品とつきあっていくほど重要な財産となるものである。作品と心中するつもりになれるほど価値あるアイディアが絶対に必要なのだが、実のところ、そうした宝のようなアイディアが降ってくるかどうかは、神のみぞ知る、という面もあって、なかなかはかったようにはいかないのが現実である。霊感のあるところにはアイディアは来るが、駄目なところは駄目。人も時期も選ぶのである。「コーラスライン」や「キャッツ」や「レント」のように、誰も期待していないところから驚くべきミュージカルが誕生するのが歴史であり、誰にそのアイディアが降ってくるかが本当の勝負だとも言えるのである。こればかりは、大資本も小資本も有名無名も関係ない。そこが面白いところなのだ。素晴らしいアイディアが頭に浮かんだ時には、すでにそのミュージカルはできているのであって、それを現実化させることのほうが、むしろたやすいとも言えるのである。ミュージカル座が大きく成長した団体となって、20周年を迎えられるかどうかも、実はここにかかっていると、私は思っているのだが。
|